選択するということ
先日、48歳で結婚された知人がいる。
再婚同士ということで、ささやかな式となるようである。
彼女は昔風の良い主婦、良い奥様を目指しているような、けなげな装いで
天真爛漫さも相まって、非常にチャーミングな女性である。
離婚後も結婚願望は強く、将来的に結婚をしない人と付き合いたくないと
強く目標を置いていたこともあり、ゴールにいたることができたのだなと。
わたしもそろそろケッコンを意識してみようかなと思っているこの頃であるが、
現実に起きていることは、同棲から別居に向けて進めているのである。
何かを選択する際に、かすかな抵抗感、拒否感、戸惑いを感じつつも決めてしまう
「強硬突破的な選択」に危険を感じ思いとどまる、もしくは回避する癖ができてしまっているようだ。一人で生きていくには大事な本能ではあると思うが、強すぎると単なる頑固婆さんとなってしまう。結婚への意向には「自然な選択」を求めるわたしとしては、タイミングではないのだなと。
人生の節目節目での決断は、傍目から見ると潔しと見えることも、本人は悶々と思い悩む時期を過ごしているからこそ、そのような選択ができるのだろう。まさに、願えば叶う なのである。
転居に向けて家探しもこれまた選択であるが、最終的にストンと落ちるところがあるような気がする。
自分らしい選択ができるまで、あきらめてはいけないのだな。